日光山『ウィキペディア(Wikipedia)』

起源

日光山は勝道上人(奈良時代後期から平安時代初期の人物)が開いた現日光の山岳群(日光連山日光三山を参照)特にその主峰である男体山を信仰対象とする山岳信仰の御神体ないし修験道霊場であった。

日光が記録に見えてくる時期は、禅宗が伝来し国内の寺院にも山号が付されるようになり、また関東にも薬師如来像や日光菩薩像が広く建立され真言密教が広がりを見せる平安時代後期ないし鎌倉時代以降であるため、勝道上人が日光の山岳地に分け入ったとされる当時からこの地を「日光山」と呼んでいたかは定かでない。下野薬師寺の修行僧であった勝道一派が日光菩薩に因んで現日光の山々を「日光山」と命名した可能性も含め、遅くても鎌倉時代頃には現日光の御神体が「日光権現」と呼ばれ[1]、また「日光山」や「日光」の呼称が一般的に定着していたものと考えられる。

なお俗説として、男体山は古くは「補陀落山」であったが後に「二荒山」という字が当てられ更にそれを音読して「日光山」と呼ぶようになり男体山のみならず隣接する山々を含めた総称となった、と云われるが、元来の日本語の呼称に漢字を当てるでなく、外来語の「補陀落山」という名称に「二荒山」と漢字を当てた可能性は低いだろうというのが一般的な見方である。

詳細は 日光山 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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